胡蝶の夢は誰が見る。3話

 

    結局、日が暮れるまでユキと遊んでクタクタになった僕はそろそろ帰ろうと、グッと伸びをする。片目でユキを盗み見るようチラリと視線を移すと、遊び疲れたのか欠伸をして舟を漕いでいた。
「おい、もう帰るぞ。日も沈んでもう暗いから、お前もさっさと帰れよ」
 そう声を掛けるが返事が返ってこない。
「んむぅ……。むにゃ」
 駄目だ、完全に落ちてやがる。
 流石に置いていくのは気が引けるし、どうするか。
 ユキの頬を突っついて意識が戻らないか試すが、反応なし。
 というか滅茶苦茶プニプニして柔らかい。……ハッ、違うそうじゃない。
「仕方ない、か」
 なにをしても起きないユキを背負って、とりあえず山を下りる事にした。
 しかし、遊び疲れて寝るなんてガキだな。
 うん、ガキだ。だから歩く度に感じる背中の感触なんて僕は気にしない。
 煩悩を追い出す為に頭を振ると、揺れた衝撃で起きたのかユキがもっそり動き出した。
「んえ? あれ、どういう状況?」
「お前が起きないから背負ってやってるんだ」
 あらぬ誤解を受けぬよう早口で言い訳、もとい説明をするとユキは納得したのか僕の首に顔を埋めた。
「ってコラ、何してんだ止めろ。くすぐったい」
「ふへへ。やだよー」
 ……本当にガキだなぁ。
 ある程度山を下りて民家が見えてきた頃、
「あ、もうここら辺で大丈夫だよ。よっこいしょ、ありがとうね」
 そう言ってユキは僕の背中から降りると、走り出した。
「それじゃあ、また遊ぼうねー」
 僕の返事も聞かず、あっという間にユキは走り去る。
「またって、もう勘弁してくれよ」
 大きな不安と小さな期待で胸中を支配されながら、僕は帰り道を歩く。
 今日は思わぬ出会いがあって精神的にも体力的にも疲れたが、懐かしい場所に行けて概ね満足だ。
 さて、明日は何を――。
「ははっ、お前それは無いだろ」
「いやいやお前もよー」
 前から歩いてくる人影に気付いて、僕は咄嗟に身を隠す。
 気配が消えたのを確認して、安堵の息を吐いた。
「そういえば、この辺は通学路だったな」
 さっきのは僕が前まで通っていた学校の生徒では無かったみたいだが、この時間帯はすれ違うかもしれないな。
「まったく、僕としたことが油断したな」
 一応、念のため道を変えてから歩き出す。
 その後は警戒心が最大限に発揮されたので、何事も無く家に着いた。
 部屋に入り、くたびれた体を布団の上に投げ出して目を閉じる。
「はぁ、馬鹿らし。もう過去の事なのに」
 地元に帰るということは、知り合いに会うかもしれないと言う事なのに覚悟が足りなかったみたいだ。
 だが明日から引きこもる、なんて事は出来ないしな。
 とりあえず、ご飯を食べて風呂に入って寝るか。明日の事は明日考えればいい。
 ***
 次の日、寝付きが悪かった僕は早朝から海に行く準備をしていた。
 昨日の川もヤマメやイワナも釣れるスポットがあるが、万が一でもユキにあったらボウズにされる可能性があるため、少し遠出をして海に行く事にした。
「釣り竿良し、ルアー良し。餌は、現地調達でいいか」
 道具の確認を終わらせ、いざ海釣りに。
 サドルを跨いで自転車を立ち漕ぎで走らせる。
「自然が多いとやっぱり空気が気持ちいいな」
 前から流れる風を顔一杯に受け止めて、田舎らしい新鮮な空気を堪能する。
 出発してから十分程経ち、少し疲れを感じてきた所でコンビニが見えてきた。
 都会と違って品揃えは悪く、野菜などが多く占めているが大きい休憩スペースがあるのが特徴だ。海までまだ三十分以上あるので休憩していこうと僕は寂れたコンビニに寄る事にした。
「いらっしゃい」
 店員のお爺さんに会釈をして、適当に飲み物とおにぎりを数個買って休憩所の椅子で一息つく。ガラス張りになっている壁の向こうの景色をボーっと見ながら、買ったイチゴ牛乳を乾いた喉に流し込む。
 そろそろ行くかと、止めた自転車を見ると見覚えのある少女が荷台に跨がっていた。
「ぶふっうっ、ゲホッ」
 最後の一口を吐き出しそうになりながらも駆け足で少女、ユキの元に向かう。
「おま、お前っ、なんでっ」
 むせて上手く喋れない僕が可笑しいのか、にへらと笑うその綺麗な顔。凄く吹っ飛ばしたい。
「えっとね、散歩してたら君が寛いでるの見えたから。この自転車は君のだよね、どっか行くのかな?」
 くそっ、なんとかフワッとあしらってこの場から撤退しよう。
「背負ってるのって釣り道具? あっ、海に行くんだね。私も行くよっ」
 なんて鮮やかな推理っ。いや普通に気付くか。
「釣りだぞ? お前にじっと獲物を待つ忍耐を持ってるとは思えないな」
 すると、僕の指摘に怒ったのかユキは頬をぷっくりと膨らませた。
「むっ。私を見くびってもらっちゃあ困るね」
 ふんすっ、と鼻息荒く胸を張るユキは急かす様にサドルを叩く。
「無駄な体力を使わせるなよ、まったく」
 僕のぼやきに堪えた様子は無く、早くと言うだけだった。
 そんな彼女に僕はため息で返事を返す。
 ペダルを踏み込むと、自分以外の重みを感じて途中で力尽きないか心配になる。
 幸い、坂道などは無く平坦な道路なので問題無く進むが、
「風が気持ちいいーねぇ」
「暴れんなっての」
 ユキが足をバタつかせたりしてフラフラと不安定に自転車が進む。
「はーい。ぎゅっと」
「ひっつくなっ」
 先ほどから落ち着いて運転できない。
 主に背中に感じる感触や僕の腰に回された腕に心が乱される。
 煩悩との脳内格闘を繰り広げていると、風が潮の匂いを運んできた。
 長いカーブを抜けると、広大な海が視界に飛び込んでくる。
 久しぶりに見た景色に感動していると、後ろからも感嘆の吐息を洩らすのが聞こえた。
「わーっ、磯臭ーい」
 他に言う事無かったのかな。
 砂浜に自転車を止めて、クーラーボックスをユキに持たせる。
「今日はいっぱい釣ろうねっ」
 ああ、と期待を込めずに返事をして釣り場に向かう。
「ほら、これ予備の釣り竿、って」
「きゃーっ、冷たーい」
 いつの間にかユキは話を聞かず、サンダルを脱ぎ捨てて波打ち際で遊んでいた。
 声を掛けるのが面倒なので無視する事にした。
「ちょっとー、待ってってばーっ」
 制止する声が消えるが構わずテトラポットが積まれた釣りスポットに向かう。
「うわっとと」
 足下が不安定なせいかユキは歩きづらそうだ。
 一度立ち止まり、後ろを見ると足をもつらせて海に落ちる寸前だった。
「おっと、はぁ……。足下気をつけろよ」
 慌てて手を掴み、ユキを引き寄せる。
「あ、ありがと。あの、でもちょっと恥ずかしいかなぁ、って」
 抱き寄せる形なので僕も顔が熱くなってきた。直ぐに離して先を歩く。
 気を取り直して釣りの準備を始めると、ユキは首を傾げて聞いてきた。
「あれ、餌はどうするの? 見た感じ持ってきてないよね」
 ユキの疑問に答える様に下を指さす。
「あるだろう、沢山」
 意味が分からないという表情のユキはつられて下を見ると、丁度良く餌がカサカサと這い出てきた。
「え、まさか。い、いやっ」
 ユキの表情が徐々に青ざめてきて、嫌な予感がしたので耳を塞ぐ。
「フナムシーッ」
 やはり女の子はフナムシは駄目か。
「いやまぁ、フナムシも餌だけど。お前はこっちの方がいいか」
 僕は砂浜で拾っておいた堅い枝を使って、テトラポットに引っ付いてる黒い物体をガリガリと引き剥がす。
「うえー、何それ?」
 引き気味のユキに剥がした餌を付けた釣り竿を渡す。
「貝だな。カラス貝」
 僕が足下のフナムシを掴んで竿に付けると、
「よく素手で触れるね。あっ、見て見て鳥肌が」
 腕を見せてくるユキを置いて先を歩くと、いい感じのスポットがあった。
「僕はここにするから、お前は別の場所で……おい」
 ユキは僕の隣に座ると釣り糸を垂らした。
「えー、離れた所だとお喋り出来ないじゃーん」
「僕は釣りに来たんだから、静かにしとけよ」
 魚が逃げないように小声で注意するが、案の定ユキは聞いていない。
「まだ釣れない? ねーねー」
 まだ十分も経ってないのに、これだ。
「大口叩いてそれか。はっ、やっぱりユキに釣りなんて無理だな」
 鼻で嗤うと、隣にはまだ釣れていないのにフグがいた。
「言ったね、言っちゃったね。勝負だよ。君より先に釣っちゃうからね」
 どうやらユキの闘争心を目覚めさせてしまったようだ。
「ふん、世迷い言を。僕は釣りの達人と呼ばれた事があるくらいだ」
 そこで手応えを感じて、竿を思いっきり引き上げる。
「この勝負、僕の勝ちだっ」
 海面から引き上げられた糸の先には、獲物がぶら下がっていたが――。
「……。えっと」
 釣り上げたのは、長靴でした。
 恥ずかしさのあまり、何事も無かった様に餌を付け直して釣り糸を垂らす。
「ぷっ、ぶふっ。流石釣りの達人だね。見事、大物を、くふっ」
 くそっ、日差しのせいか顔が熱くてたまらないなっ。
 釣りは心穏やかにしないと上手くいかないと言うが、心中穏やかではない。
「お、来た来たーっ」
 ザワついている心を落ち着かせていると、ユキの釣り竿がクンッと引っ張られた。
 どうか俺以上に恥をかきますように。
「よいしょーっと。ねぇ、この子の名前は?」
 俺の願い空しく、ちゃんと魚が釣れたみたいだ。
「あー、クロダイだな。ちっ」
 先に釣られて、つい口から不満が漏れてしまった。
 僕も負けていられないと、竿を握り直していると隣から水飛沫が舞った。
「もう釣られちゃ駄目だよー」
「おまっ、えぇ……」
 ユキがせっかくの成果を逃がしてしまった。
「そ、れ、よ、り。この勝負は私の勝ちだねっ。なにしてもらおうかなぁ」
 まて、なんの話だ。
「ユキ。罰ゲームとか、そういう類いの約束はしてなかっただろう」
「そだっけ? まぁいいじゃんっ。帰るまでに考えておくね」
 そんなユキに不安を感じながら、釣りを続行する。
 それから二時間程経ち、僕達は……。
「ねぇー、まだやるの? 飽きたよー」
「煩いな。黙ってろよ」
「一匹も釣れてないのに、よくやるねー」
 ぐっ、ユキの何気ない一言が僕の心を傷つけた。
 僕は釣りを始めて今まで手応え無しだ。
 ユキはすでに飽きていて、僕の背中に寄っかかって不満をたれている。
「でも、もうそろ休憩するか」
 なにも釣れずに多少ショックを受けて、小腹が空いているのを気付かずいつの間にか正午に差し掛かっていた。
 おそらく今日はもう出番が無いであろう、クーラーボックスを開けて中から弁当箱を取り出す。
「そのお弁当って自分で作ったの?」
 ユキが僕の持っている、不格好なサンドイッチを見て涎を垂らす。
「そうだけど、どこで僕が作ったと判断した。お? こら。形は不細工だが美味いんだぞ」
 いらつき交じりにサンドイッチを咀嚼していると、ユキから気の抜ける音が聞こえた。
「はぁ……。ほら、仕方ない奴だな」
 お腹を押さえているユキに弁当箱を差し出す。
「っ、ありがとー」
 一つ摘まんで行くが、お腹の鳴き声は恥ずかしかったみたいだ。顔を赤くしており、お礼は小声だった。
「はむっ。んっ、美味しーっ」
 ユキは気に入ったらしく、喜色の声をあげて頬に手を当てた。
「そうか、それなら良かった――ってコラ」
 美味しいと言われて、少し気分を良くしていると弁当箱の中身が更に減っているのに気付いた。犯人は一人しか居ないので、隣を見る。
 ユキは恐るべき速さで三個目のサンドイッチを食べていた。
「あー、美味しかったよ。ご馳走様っ」
 気付くと五個目を食べ終えて、手を合わせて僕に笑顔を向けていた。
「ちょっ、ごめんって、ひっひゃらにゃいでー」
 僕の分があと一個しか無い。流石に頭にきたのでユキの頬を力強く引っ張る。
「なぁ? 僕のお昼ご飯をどうしてくれるの?」
 最後の一個を口に放り込んで、ユキを恨みがましく睨む。
「今度お礼するから、許して? というか、君のサンドイッチが美味しすぎるのが悪いと私思うなっ。あっ、ごめんなさい。だからその手を引っ込めてください」
「まったく。期待せずに待っとくさ」
 今日はもう帰ろうと、道具を片付けていく。
 しかしユキは口を尖らせて不満そうにしていた。
「もう帰るの? ぶぅ、もう少し遊んでいこうよっ」
 昨日と同じく、もう少しと強請るが、そのせいでクタクタになったんだ。
「そうは行かないぞ。今日は帰るったら帰るんだ」
 ユキのブーイングを素通りして、自転車の元へ向かう。
「そう言わないでー。さっき砂浜でこれ拾ったんだっ」
 僕の前に立ち塞がると、ユキは腕を突き出してきた。
「それは、線香花火?」
 ユキが持っていたのは、四つの線香花火だった。
「ぶぁかめっ。火を付ける道具を持ってないし、上を見ろっ。日はまだ高いだろが」
「えー、でもー」
 ユキがまだ何か言っているが、無視だ無視。
 クーラーボックスを籠にぶち込み、砂浜から自転車を押し出す。
「おい、帰るぞ。早く乗れっての」
 僕の呼びかけに素直に来るが、その表情は変わらない。
「ちぇっ。もう少しだけいいじゃない」
「そうか、ならもう少し遊んでいけよ。僕は帰るがなっ」
 いつまでも乗らないユキに業を煮やして、ペダルを踏み出す。
「わぁーっ、ごめんー、置いていかないでーっ」
 ……やっぱり、ユキが居ると疲れるなぁ。
「でも、悪くない疲労かな」
「ん、なんか言った?」
 追いついて来たユキは、首を傾げて聞いてきたが、
「なんでもない」
 そう言って、二人分の体重を感じながら自転車のペダルを踏みしめる。